monsolbier’s blog

日記代わりの地味ブログです。

占いとは何か

迷い無く強い意志で確実に思い通りに駒を進めている時にわざわざ占いに手を出す人はいない。





迷いが生じた

もうどうしたら良いかわからない

それでも何かを決めなければならない

そんな境遇に置かれた場合、渋々決めた選択肢には良くも悪くも理由が欲しい。特に後者、悪い時には。





「やった、ついてた!」
「日頃の行いが良かったのか!?」
「この間あんな事言ったからばちが??」
「占いなんか信じた自分がバカだった」
「仕方ない、運が悪かったんだ」

望まない結果を得た時それを自分のせいにはしたくないので、最終的に決めたのが自分自身であることは取り敢えず棚へ





生きて行く上で無数の選択を我々はしていくわけだが、重要な選択以外に「どっちでもいい」選択もあったりする。地下鉄に乗る時に先頭側も後ろ側も乗車口は同じくらいの距離、降りる駅は後ろも前もエスカレーターなし、改札は一箇所、さてどっちから乗るか。

どっちでもいい。





★木数子の六☆占術に依存している知人がいた。小さな冊子を常に持ち歩き何をするにもそれを見て決めていた。

行動の動機が全てその冊子であるとは、滑稽だった。一体誰の人生を生きているのか。思わずその冊子を取り上げて「エビデンスが無い」と言ったところ、「この占術の完成がエビデンスだ」と返してきた。自身の意志は一体どこにあるのか尋ねたが、自分の意思でこの占術に従っている、神の意志に従うと返してきた。

神じゃない、それは紙だ。
他者に意思決定能力を奪われるな。
今はよくても将来大切な人を巻き込むことになりかねない。

何かに似ている。カルト教団?そう思い当たった時に私は戦意喪失した。この平行線はどちらかが死ぬまで続くだろう、それを察した。どうしたらいいかわからなくなったが考えた挙句、結局関わりを断つことにした。もちろん考えた末、自分の意思で。